●播磨は巴利(はり)国か

ハリという言葉にこそ、多くの謎を解くヒントがあったのです。

ハリの語源

ハリとは、バーリー語、または、パーリ語と呼ばれるインド古代語を指し、それは、紀元前四~五世紀の釈迦とその弟子たちが使っていた言語のことで、紀元11世紀ごろまでインドで広く使われたが、死語になった。
このパーリ語で記されていたのが、多量の文献を持つ南伝仏教経典『パーリ語経典』であり、パーリとは国や地域や民族の名前ではなく、「聖典」という意味なのです。

南伝仏教とは、スリランカやタイ、ミャンマー等の地域に伝わった南伝の上座部(じょうざぶ)仏教のことで、後世に云う「小乗仏教」のことです。
(南伝とはインドから南へ伝わったという意味)
これに対して、中国やチベットを経て、日本等の地域に伝わった北伝(北へ伝わった)の仏教を大乗仏教といい、六世紀の日本に伝わった仏教はこの大乗仏教です。

小乗と大乗
「乗」とは教えの事で、乗り物にたとえられ、小乗とは小さな乗り物を指す。
つまり、当初の釈迦の仏教とは、出家し、厳しい修行を積んだ後に悟りを開き救われる…、従って、修行をしない一般の人々が救われることはありません。これが釈迦の仏教であり、釈迦没後の長期間、この思想が定着していました。
小乗仏教では、さとりを開いた三十五歳以上の釈迦を崇拝します。釈迦の仏教とは、過酷な修行を積むことによってのみ救われるという厳しいものだったのです。
しかし、時代が過ぎ、仏教が異民族へ布教されていく過程で変貌していきます。
教義の解釈変更などが協議され、釈迦はすべての人々を救いたかったはず…、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教です。
大きな乗り物で、すべての人々を救うことを目的とする…、つまり、修行を積んだ僧侶だけでなく、悟りを開いた僧侶によって大衆も救われていくという形に変貌していったのです。

南伝仏教とアショカ王
後世、小乗仏教と呼ばれた南伝の仏教は、上座部(じょうざぶ)仏教と呼ばれた。
紀元前三世紀のインド…、
マガダ国マウリア朝のアショカ王(紀元前268年頃~紀元前232年頃)は、この上座部仏教に帰依した。
王子マヒンダとともに、布教のための仏教宣布団を率いたソナカ王の出身地がインドのパーリー(巴利)国だった。
ソナカ一族のインド出発は紀元前三世紀といい、南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ(ミャンマー)・タイなどを仏教国としたが、その先の記録は残されていないという。西に向かった宣布団はエジプトまで到達し、アレキサンドロス図書館に仏教の経典を納めた。
南伝仏教の呼称は、南へ伝播したというこの背景に由来している。

この南伝仏教が、インドシナ半島を経由して古代の日本列島へ伝播した…、それが巴利(はり)国です。
邪馬国の邪馬とは「シャバ」であり、この語源は、インド・ヒンドゥー教の「シバ神」に由来していたのです。
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加治木義博・著書の「真説日本誕生」シリーズ
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#12
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by nami3291 | 2014-11-14 11:08 | ●神代の歴史