ヒンドゥー教
ヒンドゥーの語源は、サンスクリットでインダス川を意味する「sindhu」が、古代ペルシアで転訛したものという。
「sindhu」は、そのまま読めば「シンドー」であり、これに「神道」を充てたのが日本の神道らしい。すなわち、ヒンドゥー教とは、元名がシンドー教だったのです。

紀元前2000年ごろ、イランからインド北西部に侵入したアーリア人は、前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰しました。
だが、前五世紀ごろに政治的変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られた結果、民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行きます。

ヒンドゥー教の三神
ヒンドゥー教には、その基本に三人の神があります。
ブラフマー神(宇宙の創造を司る神)、
ヴィシュヌ神(宇宙の維持を司る神)、
シヴァ神(世界の破壊を司る神)の三神で、三神は一体とされています。

シヴァ=邪馬
この中のシヴァ神を信仰したのが邪馬台国・邪馬壱国だったらしい。
邪馬の読みは「シャバ」であり、シヴァ神そのものを意味している。
邪馬国と記された紀元三世紀の日本に存在したのは、ヒンドゥー教のシヴァ神であり、同時に、巴利(はり)国の南伝上座部(じょうざぶ)仏教=小乗仏教だったらしい。

ヴィシュヌ=御中主
そしてさらに、古代日本には、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神も伝わっていたらしい。
ヴィシュヌ神を漢字で書き直すとー、
美(ビ)中(ジュウ)主(ヌシ)神(シン)で、「美はミ→御」と変化すると、ヴィシュヌ神とは、=御中主神、ではないか?

一般に、インド仏教は、ヒンドゥー教でありその前身はバラモン教と大別されている。
しかし、ヒンドゥー教・バラモン教の名称は、後世の歴史家が区別のために作った名称である。
ヒンドゥーの語源は、サンスクリットの「sindhu」であり、意味はインダス川のこと。当時は単に、インダス川の所の宗教と呼ばれていたらしい。
「sindhu」は「シンドゥー」であり、これが日本の「神道」になったらしい。
ヒンドゥー教は紀元前五世紀ごろからの始まりとされるが、単に「インダス川の宗教」という意味で、シンドゥー教と呼ばれていたのではないかー。

仲哀天皇と神宮皇后
では、巴利(はり)国は日本に来ていたのだろうか?
加治木義博氏・著書/卑弥呼によれば、日本に来ていたらしい痕跡が、天皇の名前の中にあります。
14代仲哀天皇とその后の神宮皇后の名前です。
仲哀天皇の名前は「足中彦」、これを通説では「たらしなかつひこ」と読んでいますが、これをそのまま素直に読み直すと、「あし→そく・なか・ひこ」です。
后の神宮皇后の名前で、古事記で記された「息長帯比売命(おきながたらしひめ)」…、これを読み直すと、
「息(いき→そく)長(なが)帯(たらし)比売(ひめ)」で、「そく・なが・ひめ」ー。
つまり、「足中彦(そくなかひこ)」と「息長比売(そくながひめ)」で、これを万葉ガナとして読み下すと「ソナカ彦」と「ソナカ姫」…、
南伝仏教宣布団のソナカ王の名が、天皇・皇后の名前に反映されている。


有史のころの古代日本に南伝の上座部(じょうざぶ)仏教が渡来していた。
その伝播地が倭人伝の中の巴利(はり)国であり、九州南部から上陸した巴利(はり)国は北へ移動し、後世、播磨と呼ばれた兵庫県南部の地域に落ち着いていたのだ。

⇒参照/加治木義博氏の「新説・日本誕生」
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#01

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# by nami3291 | 2014-11-23 21:13 | ●神代の歴史

●播磨は巴利(はり)国か

ハリという言葉にこそ、多くの謎を解くヒントがあったのです。

ハリの語源

ハリとは、バーリー語、または、パーリ語と呼ばれるインド古代語を指し、それは、紀元前四~五世紀の釈迦とその弟子たちが使っていた言語のことで、紀元11世紀ごろまでインドで広く使われたが、死語になった。
このパーリ語で記されていたのが、多量の文献を持つ南伝仏教経典『パーリ語経典』であり、パーリとは国や地域や民族の名前ではなく、「聖典」という意味なのです。

南伝仏教とは、スリランカやタイ、ミャンマー等の地域に伝わった南伝の上座部(じょうざぶ)仏教のことで、後世に云う「小乗仏教」のことです。
(南伝とはインドから南へ伝わったという意味)
これに対して、中国やチベットを経て、日本等の地域に伝わった北伝(北へ伝わった)の仏教を大乗仏教といい、六世紀の日本に伝わった仏教はこの大乗仏教です。

小乗と大乗
「乗」とは教えの事で、乗り物にたとえられ、小乗とは小さな乗り物を指す。
つまり、当初の釈迦の仏教とは、出家し、厳しい修行を積んだ後に悟りを開き救われる…、従って、修行をしない一般の人々が救われることはありません。これが釈迦の仏教であり、釈迦没後の長期間、この思想が定着していました。
小乗仏教では、さとりを開いた三十五歳以上の釈迦を崇拝します。釈迦の仏教とは、過酷な修行を積むことによってのみ救われるという厳しいものだったのです。
しかし、時代が過ぎ、仏教が異民族へ布教されていく過程で変貌していきます。
教義の解釈変更などが協議され、釈迦はすべての人々を救いたかったはず…、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教です。
大きな乗り物で、すべての人々を救うことを目的とする…、つまり、修行を積んだ僧侶だけでなく、悟りを開いた僧侶によって大衆も救われていくという形に変貌していったのです。

南伝仏教とアショカ王
後世、小乗仏教と呼ばれた南伝の仏教は、上座部(じょうざぶ)仏教と呼ばれた。
紀元前三世紀のインド…、
マガダ国マウリア朝のアショカ王(紀元前268年頃~紀元前232年頃)は、この上座部仏教に帰依した。
王子マヒンダとともに、布教のための仏教宣布団を率いたソナカ王の出身地がインドのパーリー(巴利)国だった。
ソナカ一族のインド出発は紀元前三世紀といい、南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ(ミャンマー)・タイなどを仏教国としたが、その先の記録は残されていないという。西に向かった宣布団はエジプトまで到達し、アレキサンドロス図書館に仏教の経典を納めた。
南伝仏教の呼称は、南へ伝播したというこの背景に由来している。

この南伝仏教が、インドシナ半島を経由して古代の日本列島へ伝播した…、それが巴利(はり)国です。
邪馬国の邪馬とは「シャバ」であり、この語源は、インド・ヒンドゥー教の「シバ神」に由来していたのです。
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加治木義博・著書の「真説日本誕生」シリーズ
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#12
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# by nami3291 | 2014-11-14 11:08 | ●神代の歴史

不思議の古代史は、日本のピラミッドからスタートし、天孫降臨までの神代の歴史を追ったものです。
しかし、其処に表われた神代の歴史と、神武天皇以降の古事記が記す歴史、さらに、現実の歴史がスンナリと結びつかない…、古代史を学んだ者なら、誰でもそんなもどかしさがあるのではないかと思います。
ところが、この神代と有史を結ぶキィワードがありました。

多くの方がご存知の魏志倭人伝の中…、ここに邪馬国へ至る経過で多くの国々が記されていきます。
伊都(いと)国から始まって、①斯馬(しま)国、②己百支(いはき)国……と進み、その十六番目に邪馬国に到着します。
そのあとに記された十八番目の巴利(はり)国…、この「ハリの国」です。

邪馬台国四国説
筆者が八幡山を発見し不思議の古代史をスタートしたころ、邪馬台国四国山上説を唱えた人物がありました。

参照)大杉博著作BOOK
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#11
参考)You-Tube邪馬台国 四国山上説
https://www.youtube.com/watch?v=lWJRbf_jaWU

九州説や近隣説などが論争されている中、独自の視点での四国説は新鮮に受け入れられたようでした。
しかし、当時は八幡山を発見した頃であり、ピラミッドとしての剣山に興味があったものの、倭人伝の邪馬台国にはそれ程興味を持ちませんでした。
倭人伝は有史の三世紀のことであり、日本のピラミッドは神代の、それもずっと古い時代のことと捉えていたからです。従がって、倭人伝も真剣に読んだことがありませんでした。

移動した邪馬国
今回、加治木義博氏の「新説・日本誕生」を読み進むことになり、倭人伝の全文に目を通してみました。

倭人伝
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm

何度も見ているうちに、ふと気づいたことがあります。
加治木氏は、最初の邪馬国は九州南部の鹿児島から始まり、それが北へ東へと移動していった。
つまり、「邪馬国が四国にもあった」時代があったとしています。
この邪馬国のとなり辺りにあったのが、「巴利(はり)国」ですが…、
邪馬国を四国とするなら、そのとなりに海を挟んでいるのが、ハリマ(播磨)ー。
ハリマの「マ」は、間で「=国」を意味する。
播磨風土記には「針間」とも記され、ハリマ(間)とは「ハリ国」という意味なのです。

ハリとは何かー?
この語源を探ると、驚くべきことが浮かび上がる。
それは、これまで分からなかった古代史の多くの謎を解き明かすキィワードだったのです。




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# by nami3291 | 2014-11-10 09:17 | ●神代の歴史

●三つ目の白髭神社

●西播磨に存在した三つ目の白髭神社

http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/05himeji-kita/01ise-shrohige/01ise-shrohige.htm

姫路市北部の林田町と夢前町の境界線にある白髭神社。

一見、何の変哲もない里の神社ですが、
鳥居の柱に「韓合併」と刻まれています。

この鳥居は昭和44年に作られたもののようです。
「韓合併」の文字は何を意味しているのでしょうかー?

白髭神社は、奇妙な形で韓半島に関係しているようです。
◆皆さんのお住まいの地に「白髭神社」はありますか。
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●無料PDFのご案内
解けますか?ージョン万次郎8P

http://zero.deca.jp//fo/rvx/8871/form.cgi

・即時、自動返信で送られます。
・A4サイズで印刷製本できます。
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●不思議の古代史/勉強会のお知らせ。
不思議の古代史・勉強会を神戸で行っています。
主催は、かごめかごめの真実の上森氏の事務所です。

詳細は、下記からリンクで案内しています。
http://ikuno.lolipop.jp//99annai.htm


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# by nami3291 | 2014-11-03 12:57 | ●神代の歴史

謎の白髭神社

不思議の古代史は、天孫降臨からさかのぼる超古代の歴史を対象としてきました。
記紀が記した神武天皇以降の有史とされる歴史では、既に多くの古代史家が取り組まれており、おそらく、誰かが既に真実の歴史を解明されているのではないかとタカを括っていたのですが…、
ありました!
神武天皇以降の、一応、有史とされている日本の歴史は、この歴史家の解明で事実を突いているのではないかと思います。

加治木義博・著書の「真説日本誕生」シリーズの数巻です。
邪馬壹国と邪馬臺国の謎、神武天皇と祟神天皇の謎、これが朝鮮半島の歴史と密接につながっている…。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#12

この本は鹿児島県付近をかなり細かく描いているので、とっつき難い面があり、ちょっと難しいです。
さきに、朝鮮半島と日本の歴史の繋がりを見ておくと、比較的、理解しやすくなります。
⇒下記、長浜浩明の「韓国人は何処から来たか」
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#11

史書に書かれている歴史は、あなたのご存知の半島の歴史とは、まったく違います。
江上波夫の騎馬民族王朝説は、史書の裏づけのない、まったくのデタラメだったことが分かります。
長浜浩明の本は、分かりやすく書かれています。
全体は三国史記(韓国高麗の史書)を元として書かれています。
ーが、ちょっと偏った思想の部分もあるようですので、その点は注意して読むこと。
たとえば、檀君神話の熊女を「動物の熊」のように捉えていますが、これは「クルの国の女」という意味で「神の国の女神」という意味ー。

そして、この二人の作者の歴史から解明を進めていくと、
高橋良典氏の描いたカラ族の歴史につながってきます。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#14
神代の残像の五巻をお持ちの方…、
第四章・蘇える古代都市から、この265ページですが、
ここに、スサダミコが世界の16方位に置いた古代都市が記されていますが、
この、朝鮮半島に置かれた王…ですね。

これを、加治木義博氏の「半島と日本の関係」から初めて気がついたのですが…、
これがそのまま、日本に神社として存在していたのです。
下記、白髭神社です。
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/01himeji-east/02shigo/03shjrohige02/03shjrohige02.htm

この辺りは、播磨風土記で半島の新羅からやって来た氏族の郷で美嚢の郷と記された所ですが、この神社の近くにあるのが、新羅神社
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/01himeji-east/02shigo/01shiragi/01shiragi.htm

三十八神社などとおなじく、一見、奇妙で歴史とまったく関係のないように見えるモノにこそ、古代の秘密が隠されているようです。
この全体からは、古事記と日本書紀が歴史を隠したように見える理由が分かってきます。
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# by nami3291 | 2014-10-27 08:13 | ●神代の歴史

兵庫八幡山の所在地が神河町猪篠(いざさ)という。
この奇妙な「猪篠(いざさ)」地名とはどういう意味なのかー、これを知る人も少ないだろう。

猪篠(いざさ)の意味は、奇妙な所から解けた。

それが、兵庫県の八幡山から西にある安志の里(あんじのさと)《現在の姫路市(旧の飾磨郡)安富町関》にある鹿ヶ壷という滝壺の地名命名伝承だった。
猪篠の奇妙な漢字は当て字であり、問題は「いざさ」という発音にあった。
「いざさ」とは、実に神さまの名前だったのである。

下記を、参照してください
●「鹿ヶ壷」のイザサ王伝説
http://hach8.web.fc2.com/fudoki/densetsu/isasa00.html


▲鹿ヶ壷案内
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/03ibo/03himeji/0303seki-shika.htm

イザサが何者を意味しているのか、ご理解いただけたでしょうか。
このイザサ王の伝説は、この地だけでなく、奈良県にもあるらしい。


◆リンク
大和国(奈良県)吉野郡伯母ヶ峰(おぼがみね)の為笹(イザサ)王
http://www5e.biglobe.ne.jp/~c-panda/11141560/


イザサは巨大な鹿で表わされたものらしく、鹿角をご神体とした神社が岡山県にある。
岡山県化気神社案内
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/81okayama/8103soshya/0311keki.htm#00


この神社の祭神が伊奢沙和氣(イササワケ)神・・
つまり、イササ別神で、イササから分かれた神という意味である。
イササワケを祀る神社は、

福井県敦賀の気比神宮(けひじんぐう)である。

◆リンク
敦賀の気比神宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/氣比神宮

イザサワケは、伊奢沙別・去来紗別などと記される。
気比神宮の説明からは、祭神・伊奢沙別(イササワケ)命の正体は分からないのだが、
あなたはこの神の正体が分かっただろうかー。

伊奢沙別(イササワケ)は、気比(けひ)大神、または、御食津(けつ)大神とも記され、さらに、笥飯大神とも記される。
この最後の「笥飯」は、「す・はん」と読める。
これを万葉ガナ読みすると、「笥飯」は「すは」・・。

笥飯大神とは、「すは大神」なのか?

兵庫県の気比神社
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/53tajima/81toyooka/01kehi.htm








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# by nami3291 | 2014-08-15 18:29 | ●神代の歴史

解けますか?

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●解けますか?

●播磨風土記には、14の丘地名伝承があります。
それは、古事記の国生み神話とそっくり酷似しています。
風土記の地名伝承も、道程地名になっています。
古事記を記した筆者は、播磨風土記を記した筆者と同一人か、
または、関係のあった人物ではなかったか。

・日本の歴史を解くヒントがここに・・・・・
・神社一直線の謎が解けます

冊子案内・姫の国への道標


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# by nami3291 | 2010-07-28 07:06 | ●奇妙な連番地名?