カテゴリ:●神代の歴史( 10 )

播磨の祭り魚吹八幡宮
https://youtu.be/mC4jc_XuOS0




○古代ピラミッド山を継承した祭り

姫路総社の三山祭り

http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/02himeji/11soshya/11soshya01.htm
[PR]
by nami3291 | 2015-05-03 19:13 | ●神代の歴史

邪馬壱国か邪馬臺国か

倭人伝の邪馬壱国は元々からあった国ではなく、邪馬臺国のヒミコが死んだ後、壱与が立って出来た新しい国である。
つまり、この中心の姫木山のあった隼人町は、元々、ハリ国ではなかったか。
隼人は南九州では「ハイト」と読むが、巴利(ハリ)も南九州語だと「ハイ」と読むという。巴利人とつづれば同じく「ハイト」だ。

巴利(ハリ)国の位置は、加治木氏のいう大口市の針持から隼人町の一帯にあり、この巴利国の一角に新しい邪馬壱国が出来た…、そして、新しい邪馬壱国は北へ移動を始めたー。
こういう流れではなかったか。

鹿児島地図参照
http://hach8.web.fc2.com///jpn-pira/06kagoshima/06kagoshima-himeki.htm
後代、邪馬臺国と云われるが、三世紀の魏志倭人伝に記されているのは、邪馬壱国である。
通説では、その後に書かれた後漢書など、後代の史書に邪馬臺国と記されている所から、魏志の記述誤りだったと解釈している。

加治木説では、この解釈が間違いで、史書の記すように、邪馬臺国と邪馬壱国の二つの邪馬国があったという。
初めに魏へ使者を出したのは邪馬臺国の女王だったが、その女王が死去し、その後、新たに立った壱与の国、これが倭人伝記載の邪馬壱国…、これが加治木説である。

二つの邪馬国
倭人伝の記録を見ていくとー、
女王のいる都へ進んでいく道程で国々が説明される。それが、狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、そして、到着した邪馬壹国の九ヵ国である。
加治木説では、この最後の邪馬壹国が、鹿児島国分姫城の姫木山だと指摘している。
そして、このあと「其餘旁國遠絶、不可得詳」=その余の国は、遠くて険しく詳細を得ることは不可能=と断った上で、二十一の国名が記される。
この十八番目に記されたのが巴利(はり)國なのだが、その十六番目に記されているのが「邪馬国」なのだ。
この「邪馬國」とは何を意味したものなのだろうか?
「その余の国…」として記されたものだから、「女王の邪馬壹国」とは別の「邪馬国」らしい。
あるいはこれが、死去した最初の女王の国=邪馬臺国=のことなのか?

豊の国と伊予の国
記録は過去形のため、最後に存在した女王国の邪馬壱国だけを記録したことになる。
つまり、最初の女王=臺与(トヨ)が亡くなった邪馬臺国は滅亡したのではなくその後も存在した。そして、女王の選出国として邪馬壱国と覇を競いながら北へ、東へと移動拡大していく。
その結果、北九州には邪馬臺国のヒミコ=臺与(トヨ)=豊の国(大分・福岡東部)が記録され、また、四国の西部・愛媛県には、邪馬壱国の壱与(イヨ)=伊予の国(四国)が記録される。

豊の国の別名は、豊日(ホヒ)別国で「天の穂日=国津神の系譜」を示唆する。
古事記で、国津神の仇敵としてやって来たのは天津神であり、それが邪馬壱国であり、壱国の建国者はホホデミ系譜の者と云うことになる。

たしかに、契丹古伝でも、その最後でスサダミコ(=ホホデミ尊)は九州南部・鹿児島県の喜入(きいり)・伊集院あたりに降臨したことになっている。

参照)⇒⑤続/神代の残像第四章蘇える古代都市
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/pa-book/

このスサダミコ(=ホホデミ尊)のその後の行方は分かっていない。
はたして、神代からの歴史はつながっていくのだろうかー。
-----------------------------------------------
●無料E-Book
⇒★倭人伝/巴利国のなぞ①
下記から申し込めます。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/pa-book/e2015-wajin01.htm
----------------------------------------------
古代史BOOK
http://ikuno8.cart.fc2.com/
------------------------------------------------------


[PR]
by nami3291 | 2014-12-17 19:01 | ●神代の歴史

ホキの岩盤

ふたつの巨大石
姫木山の正面に存在する巨大な四角形の岩盤
http://hach8.web.fc2.com//jpn-pira/06kagoshima/image/map-hayato02.jpg
これとよく似た四角形の巨石の神社が兵庫県にある。

すなわち、兵庫県高砂市の石の宝殿・生石神社の巨大石!
http://hach8.web.fc2.com/iwa/harima/higashi/51hoden.htm

このふたつの四角形の巨大石には、奇妙な類似がある。
石の宝殿の位置は、兵庫八幡山の南ライン上にあり、
石の宝殿の背後に、ピラミッドとされる高御位山がある。
http://taiyo.goraikou.com/hyogo/in-00-03.html

これと相似形のように、
国分姫城の位置は、高千穂の南西位置にあり、
http://hach8.web.fc2.com//jpn-pira/06kagoshima/image/map-himeki16.jpg
九州高千穂は八幡山の南西ライン上にある!
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot-pira/ha01-00.htm
すなわち…、
霧島市国分姫城…姫木山は、八幡山の南西ラインに存在しているのだ。
この不思議は何なのか?
この事実は、いくら鹿児島に詳しくても発見できる内容ではない。

加治木氏は、卑弥呼・邪馬壱国の話を倭人伝の記述に基ずき、全てが紀元三世紀以降の出来事と解釈していく。だが、これらの事実を合わせて見ると、その解釈がじつに一面的な解釈に見えてくる。

この巨大な四角石がホキのホを表わしているなら、ホキのキは背後の山を表わしている。
姫木山背後の高千穂は古事記の高天原とされて日本民族発祥の地とされてきた…。
また、兵庫・石の宝殿背後の高御位山は、神を祀る山として古来、重宝されてきた。
だが、この二つの山ともに途中のホキの山であり、ホキのキではなかった。
最後のホキのキの山は、八幡山だったことになる。

この全体の形が有史の三世紀に作られたものとはとても思えない。
この奇妙さは一体、何なのか?

-----------------------------------------------------------------------------


[PR]
by nami3291 | 2014-12-08 10:07 | ●神代の歴史

●ホとキのハリ国

ホとキの今治・尾張
西日本の地図を見ていくと、ハリ国は兵庫の播磨だけではありません。
四国西部の愛媛県に今治(イマバリ)があり、琵琶湖の東部へ目を向けると尾張(オハリ)がありますね。
邪馬国は九州から四国を東へ移動し、さらに、近畿の大阪南部まで移動した。
これが、新説・日本誕生の加治木説です。
⇒参照/加治木義博氏の「新説・日本誕生」
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#01

ーならば、邪馬国の移動に従がい、巴利(はり)国も移動したのではないかー。
さらに勘ぐれば、巴利国の移動と一緒に、邪馬国も移動したのではないかー。
西の今治と東の尾張は、ホとキの関係になっている。この間にハリの国が存在した!
なぜ、そうなるのかー。
「ハリ国」が、邪馬国にとって重要事項を意味していたから…、すなわち、多量の南伝仏教経典『パーリ語経典』を持っていた国…、それが巴利国だったのではないか。
そして、西播磨の八幡山連峰が、この巴利国に関係していたのではないかー。

中心のヒメコ山
ここからは、加治木義博氏の新説・日本誕生を引用しながら話を進めますが、加治木義博氏著の「黄金の女王・卑弥呼」ではー、
鹿児島にあった巴利国の位置は、鹿児島県大口市の針持(はりもち)ではないかー、
そして、隼人町=現在の鹿児島県霧島市隼人町、二〇〇五年合併以前の姶良郡隼人町=を、倭人伝の邪馬国ではないかと指摘しています。

この邪馬壱国の中心と指摘されるのが、現在の霧島市国分姫城(コクブヒメギ)である。
この山は、姫木山…「ヒメコヤマ」と呼ばれた山だった。
一般人に邪馬台国が良く知られたのは、1967年(昭和42年)の宮崎康平著作の『まぼろしの邪馬台国』からだろう。
この本では邪馬台国北九州説が採られた様だが、加治木氏によれば、幕末・明治の歴史学者で姫木山を邪馬国と指摘した学者がいたという。
幕末の鶴峯戊申(しげのぶ)という歴史学者は、卑弥呼の邪馬台国は姫木と指摘した。
さらに、吉田東伍は明治二十六年の著書「日韓古史断」において、また、那珂通世(なかみちよ)は大正四年の「那珂通世遺書」の中で、いずれも、「卑弥呼は熊襲の女酋であり、その古都はいまの隼人城の北、姫城村にある」と指摘しているという。

姫木山は「ヒメコヤマ」と読める地名だが、ヒメコと呼ぶ地名は、各地を探してもほとんど存在しないという。
そして、この「ヒメコヤマ」の名は、兵庫八幡山につながっていく…。

八幡山のヒメコ山

はたして読者は、憶えておられるだろうかー!
八幡山連峰において、八幡山の南の一帯が「ヒメコ山」と呼ばれていたことをー。
八幡山案内
http://ikuno.lolipop.jp//piramido/hachiman/ha00-02.htm

奇妙なことは、たんに山の名前が同じ…というだけではないのだ。

まずー、姫木山に存在する奇妙なモノ…、
You-Tube⇒霧島市国分姫城の阿多石を参照して頂きたい。
https://www.youtube.com/watch?v=ToLq9wnHShc

ポイント点は、稲荷神社背後の巨大な四角の岩盤ですが…、
http://hach8.web.fc2.com//jpn-pira/06kagoshima/image/map-hayato02.jpg

これと似たようなモノをご覧になったことは…?

神社背後の巨大石は、単なる巨大な岩盤なのか、
それとも、四角の形が意味を持つホキなのか?

-----------------------------------------------------------



[PR]
by nami3291 | 2014-12-01 15:32 | ●神代の歴史

ヒンドゥー教
ヒンドゥーの語源は、サンスクリットでインダス川を意味する「sindhu」が、古代ペルシアで転訛したものという。
「sindhu」は、そのまま読めば「シンドー」であり、これに「神道」を充てたのが日本の神道らしい。すなわち、ヒンドゥー教とは、元名がシンドー教だったのです。

紀元前2000年ごろ、イランからインド北西部に侵入したアーリア人は、前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰しました。
だが、前五世紀ごろに政治的変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られた結果、民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行きます。

ヒンドゥー教の三神
ヒンドゥー教には、その基本に三人の神があります。
ブラフマー神(宇宙の創造を司る神)、
ヴィシュヌ神(宇宙の維持を司る神)、
シヴァ神(世界の破壊を司る神)の三神で、三神は一体とされています。

シヴァ=邪馬
この中のシヴァ神を信仰したのが邪馬台国・邪馬壱国だったらしい。
邪馬の読みは「シャバ」であり、シヴァ神そのものを意味している。
邪馬国と記された紀元三世紀の日本に存在したのは、ヒンドゥー教のシヴァ神であり、同時に、巴利(はり)国の南伝上座部(じょうざぶ)仏教=小乗仏教だったらしい。

ヴィシュヌ=御中主
そしてさらに、古代日本には、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神も伝わっていたらしい。
ヴィシュヌ神を漢字で書き直すとー、
美(ビ)中(ジュウ)主(ヌシ)神(シン)で、「美はミ→御」と変化すると、ヴィシュヌ神とは、=御中主神、ではないか?

一般に、インド仏教は、ヒンドゥー教でありその前身はバラモン教と大別されている。
しかし、ヒンドゥー教・バラモン教の名称は、後世の歴史家が区別のために作った名称である。
ヒンドゥーの語源は、サンスクリットの「sindhu」であり、意味はインダス川のこと。当時は単に、インダス川の所の宗教と呼ばれていたらしい。
「sindhu」は「シンドゥー」であり、これが日本の「神道」になったらしい。
ヒンドゥー教は紀元前五世紀ごろからの始まりとされるが、単に「インダス川の宗教」という意味で、シンドゥー教と呼ばれていたのではないかー。

仲哀天皇と神宮皇后
では、巴利(はり)国は日本に来ていたのだろうか?
加治木義博氏・著書/卑弥呼によれば、日本に来ていたらしい痕跡が、天皇の名前の中にあります。
14代仲哀天皇とその后の神宮皇后の名前です。
仲哀天皇の名前は「足中彦」、これを通説では「たらしなかつひこ」と読んでいますが、これをそのまま素直に読み直すと、「あし→そく・なか・ひこ」です。
后の神宮皇后の名前で、古事記で記された「息長帯比売命(おきながたらしひめ)」…、これを読み直すと、
「息(いき→そく)長(なが)帯(たらし)比売(ひめ)」で、「そく・なが・ひめ」ー。
つまり、「足中彦(そくなかひこ)」と「息長比売(そくながひめ)」で、これを万葉ガナとして読み下すと「ソナカ彦」と「ソナカ姫」…、
南伝仏教宣布団のソナカ王の名が、天皇・皇后の名前に反映されている。


有史のころの古代日本に南伝の上座部(じょうざぶ)仏教が渡来していた。
その伝播地が倭人伝の中の巴利(はり)国であり、九州南部から上陸した巴利(はり)国は北へ移動し、後世、播磨と呼ばれた兵庫県南部の地域に落ち着いていたのだ。

⇒参照/加治木義博氏の「新説・日本誕生」
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#01

------------------------------------------------------------


[PR]
by nami3291 | 2014-11-23 21:13 | ●神代の歴史

●播磨は巴利(はり)国か

ハリという言葉にこそ、多くの謎を解くヒントがあったのです。

ハリの語源

ハリとは、バーリー語、または、パーリ語と呼ばれるインド古代語を指し、それは、紀元前四~五世紀の釈迦とその弟子たちが使っていた言語のことで、紀元11世紀ごろまでインドで広く使われたが、死語になった。
このパーリ語で記されていたのが、多量の文献を持つ南伝仏教経典『パーリ語経典』であり、パーリとは国や地域や民族の名前ではなく、「聖典」という意味なのです。

南伝仏教とは、スリランカやタイ、ミャンマー等の地域に伝わった南伝の上座部(じょうざぶ)仏教のことで、後世に云う「小乗仏教」のことです。
(南伝とはインドから南へ伝わったという意味)
これに対して、中国やチベットを経て、日本等の地域に伝わった北伝(北へ伝わった)の仏教を大乗仏教といい、六世紀の日本に伝わった仏教はこの大乗仏教です。

小乗と大乗
「乗」とは教えの事で、乗り物にたとえられ、小乗とは小さな乗り物を指す。
つまり、当初の釈迦の仏教とは、出家し、厳しい修行を積んだ後に悟りを開き救われる…、従って、修行をしない一般の人々が救われることはありません。これが釈迦の仏教であり、釈迦没後の長期間、この思想が定着していました。
小乗仏教では、さとりを開いた三十五歳以上の釈迦を崇拝します。釈迦の仏教とは、過酷な修行を積むことによってのみ救われるという厳しいものだったのです。
しかし、時代が過ぎ、仏教が異民族へ布教されていく過程で変貌していきます。
教義の解釈変更などが協議され、釈迦はすべての人々を救いたかったはず…、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教です。
大きな乗り物で、すべての人々を救うことを目的とする…、つまり、修行を積んだ僧侶だけでなく、悟りを開いた僧侶によって大衆も救われていくという形に変貌していったのです。

南伝仏教とアショカ王
後世、小乗仏教と呼ばれた南伝の仏教は、上座部(じょうざぶ)仏教と呼ばれた。
紀元前三世紀のインド…、
マガダ国マウリア朝のアショカ王(紀元前268年頃~紀元前232年頃)は、この上座部仏教に帰依した。
王子マヒンダとともに、布教のための仏教宣布団を率いたソナカ王の出身地がインドのパーリー(巴利)国だった。
ソナカ一族のインド出発は紀元前三世紀といい、南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ(ミャンマー)・タイなどを仏教国としたが、その先の記録は残されていないという。西に向かった宣布団はエジプトまで到達し、アレキサンドロス図書館に仏教の経典を納めた。
南伝仏教の呼称は、南へ伝播したというこの背景に由来している。

この南伝仏教が、インドシナ半島を経由して古代の日本列島へ伝播した…、それが巴利(はり)国です。
邪馬国の邪馬とは「シャバ」であり、この語源は、インド・ヒンドゥー教の「シバ神」に由来していたのです。
--------------------------------------------------------
加治木義博・著書の「真説日本誕生」シリーズ
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#12
--------------------------------------------------------



[PR]
by nami3291 | 2014-11-14 11:08 | ●神代の歴史

不思議の古代史は、日本のピラミッドからスタートし、天孫降臨までの神代の歴史を追ったものです。
しかし、其処に表われた神代の歴史と、神武天皇以降の古事記が記す歴史、さらに、現実の歴史がスンナリと結びつかない…、古代史を学んだ者なら、誰でもそんなもどかしさがあるのではないかと思います。
ところが、この神代と有史を結ぶキィワードがありました。

多くの方がご存知の魏志倭人伝の中…、ここに邪馬国へ至る経過で多くの国々が記されていきます。
伊都(いと)国から始まって、①斯馬(しま)国、②己百支(いはき)国……と進み、その十六番目に邪馬国に到着します。
そのあとに記された十八番目の巴利(はり)国…、この「ハリの国」です。

邪馬台国四国説
筆者が八幡山を発見し不思議の古代史をスタートしたころ、邪馬台国四国山上説を唱えた人物がありました。

参照)大杉博著作BOOK
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#11
参考)You-Tube邪馬台国 四国山上説
https://www.youtube.com/watch?v=lWJRbf_jaWU

九州説や近隣説などが論争されている中、独自の視点での四国説は新鮮に受け入れられたようでした。
しかし、当時は八幡山を発見した頃であり、ピラミッドとしての剣山に興味があったものの、倭人伝の邪馬台国にはそれ程興味を持ちませんでした。
倭人伝は有史の三世紀のことであり、日本のピラミッドは神代の、それもずっと古い時代のことと捉えていたからです。従がって、倭人伝も真剣に読んだことがありませんでした。

移動した邪馬国
今回、加治木義博氏の「新説・日本誕生」を読み進むことになり、倭人伝の全文に目を通してみました。

倭人伝
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm

何度も見ているうちに、ふと気づいたことがあります。
加治木氏は、最初の邪馬国は九州南部の鹿児島から始まり、それが北へ東へと移動していった。
つまり、「邪馬国が四国にもあった」時代があったとしています。
この邪馬国のとなり辺りにあったのが、「巴利(はり)国」ですが…、
邪馬国を四国とするなら、そのとなりに海を挟んでいるのが、ハリマ(播磨)ー。
ハリマの「マ」は、間で「=国」を意味する。
播磨風土記には「針間」とも記され、ハリマ(間)とは「ハリ国」という意味なのです。

ハリとは何かー?
この語源を探ると、驚くべきことが浮かび上がる。
それは、これまで分からなかった古代史の多くの謎を解き明かすキィワードだったのです。




[PR]
by nami3291 | 2014-11-10 09:17 | ●神代の歴史

●三つ目の白髭神社

●西播磨に存在した三つ目の白髭神社

http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/05himeji-kita/01ise-shrohige/01ise-shrohige.htm

姫路市北部の林田町と夢前町の境界線にある白髭神社。

一見、何の変哲もない里の神社ですが、
鳥居の柱に「韓合併」と刻まれています。

この鳥居は昭和44年に作られたもののようです。
「韓合併」の文字は何を意味しているのでしょうかー?

白髭神社は、奇妙な形で韓半島に関係しているようです。
◆皆さんのお住まいの地に「白髭神社」はありますか。
------------------------------------------------------

●無料PDFのご案内
解けますか?ージョン万次郎8P

http://zero.deca.jp//fo/rvx/8871/form.cgi

・即時、自動返信で送られます。
・A4サイズで印刷製本できます。
------------------------------------------

●不思議の古代史/勉強会のお知らせ。
不思議の古代史・勉強会を神戸で行っています。
主催は、かごめかごめの真実の上森氏の事務所です。

詳細は、下記からリンクで案内しています。
http://ikuno.lolipop.jp//99annai.htm


------------------------------------------------------



[PR]
by nami3291 | 2014-11-03 12:57 | ●神代の歴史

謎の白髭神社

不思議の古代史は、天孫降臨からさかのぼる超古代の歴史を対象としてきました。
記紀が記した神武天皇以降の有史とされる歴史では、既に多くの古代史家が取り組まれており、おそらく、誰かが既に真実の歴史を解明されているのではないかとタカを括っていたのですが…、
ありました!
神武天皇以降の、一応、有史とされている日本の歴史は、この歴史家の解明で事実を突いているのではないかと思います。

加治木義博・著書の「真説日本誕生」シリーズの数巻です。
邪馬壹国と邪馬臺国の謎、神武天皇と祟神天皇の謎、これが朝鮮半島の歴史と密接につながっている…。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#12

この本は鹿児島県付近をかなり細かく描いているので、とっつき難い面があり、ちょっと難しいです。
さきに、朝鮮半島と日本の歴史の繋がりを見ておくと、比較的、理解しやすくなります。
⇒下記、長浜浩明の「韓国人は何処から来たか」
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#11

史書に書かれている歴史は、あなたのご存知の半島の歴史とは、まったく違います。
江上波夫の騎馬民族王朝説は、史書の裏づけのない、まったくのデタラメだったことが分かります。
長浜浩明の本は、分かりやすく書かれています。
全体は三国史記(韓国高麗の史書)を元として書かれています。
ーが、ちょっと偏った思想の部分もあるようですので、その点は注意して読むこと。
たとえば、檀君神話の熊女を「動物の熊」のように捉えていますが、これは「クルの国の女」という意味で「神の国の女神」という意味ー。

そして、この二人の作者の歴史から解明を進めていくと、
高橋良典氏の描いたカラ族の歴史につながってきます。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#14
神代の残像の五巻をお持ちの方…、
第四章・蘇える古代都市から、この265ページですが、
ここに、スサダミコが世界の16方位に置いた古代都市が記されていますが、
この、朝鮮半島に置かれた王…ですね。

これを、加治木義博氏の「半島と日本の関係」から初めて気がついたのですが…、
これがそのまま、日本に神社として存在していたのです。
下記、白髭神社です。
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/01himeji-east/02shigo/03shjrohige02/03shjrohige02.htm

この辺りは、播磨風土記で半島の新羅からやって来た氏族の郷で美嚢の郷と記された所ですが、この神社の近くにあるのが、新羅神社
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/01aga/01himeji-east/02shigo/01shiragi/01shiragi.htm

三十八神社などとおなじく、一見、奇妙で歴史とまったく関係のないように見えるモノにこそ、古代の秘密が隠されているようです。
この全体からは、古事記と日本書紀が歴史を隠したように見える理由が分かってきます。
--------------------------------------------------------------------------------

[PR]
by nami3291 | 2014-10-27 08:13 | ●神代の歴史

兵庫八幡山の所在地が神河町猪篠(いざさ)という。
この奇妙な「猪篠(いざさ)」地名とはどういう意味なのかー、これを知る人も少ないだろう。

猪篠(いざさ)の意味は、奇妙な所から解けた。

それが、兵庫県の八幡山から西にある安志の里(あんじのさと)《現在の姫路市(旧の飾磨郡)安富町関》にある鹿ヶ壷という滝壺の地名命名伝承だった。
猪篠の奇妙な漢字は当て字であり、問題は「いざさ」という発音にあった。
「いざさ」とは、実に神さまの名前だったのである。

下記を、参照してください
●「鹿ヶ壷」のイザサ王伝説
http://hach8.web.fc2.com/fudoki/densetsu/isasa00.html


▲鹿ヶ壷案内
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/03ibo/03himeji/0303seki-shika.htm

イザサが何者を意味しているのか、ご理解いただけたでしょうか。
このイザサ王の伝説は、この地だけでなく、奈良県にもあるらしい。


◆リンク
大和国(奈良県)吉野郡伯母ヶ峰(おぼがみね)の為笹(イザサ)王
http://www5e.biglobe.ne.jp/~c-panda/11141560/


イザサは巨大な鹿で表わされたものらしく、鹿角をご神体とした神社が岡山県にある。
岡山県化気神社案内
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/81okayama/8103soshya/0311keki.htm#00


この神社の祭神が伊奢沙和氣(イササワケ)神・・
つまり、イササ別神で、イササから分かれた神という意味である。
イササワケを祀る神社は、

福井県敦賀の気比神宮(けひじんぐう)である。

◆リンク
敦賀の気比神宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/氣比神宮

イザサワケは、伊奢沙別・去来紗別などと記される。
気比神宮の説明からは、祭神・伊奢沙別(イササワケ)命の正体は分からないのだが、
あなたはこの神の正体が分かっただろうかー。

伊奢沙別(イササワケ)は、気比(けひ)大神、または、御食津(けつ)大神とも記され、さらに、笥飯大神とも記される。
この最後の「笥飯」は、「す・はん」と読める。
これを万葉ガナ読みすると、「笥飯」は「すは」・・。

笥飯大神とは、「すは大神」なのか?

兵庫県の気比神社
http://hach8.web.fc2.com/jinjya/53tajima/81toyooka/01kehi.htm








[PR]
by nami3291 | 2014-08-15 18:29 | ●神代の歴史