●ホとキのハリ国

ホとキの今治・尾張
西日本の地図を見ていくと、ハリ国は兵庫の播磨だけではありません。
四国西部の愛媛県に今治(イマバリ)があり、琵琶湖の東部へ目を向けると尾張(オハリ)がありますね。
邪馬国は九州から四国を東へ移動し、さらに、近畿の大阪南部まで移動した。
これが、新説・日本誕生の加治木説です。
⇒参照/加治木義博氏の「新説・日本誕生」
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/spot/book02/am01.htm#01

ーならば、邪馬国の移動に従がい、巴利(はり)国も移動したのではないかー。
さらに勘ぐれば、巴利国の移動と一緒に、邪馬国も移動したのではないかー。
西の今治と東の尾張は、ホとキの関係になっている。この間にハリの国が存在した!
なぜ、そうなるのかー。
「ハリ国」が、邪馬国にとって重要事項を意味していたから…、すなわち、多量の南伝仏教経典『パーリ語経典』を持っていた国…、それが巴利国だったのではないか。
そして、西播磨の八幡山連峰が、この巴利国に関係していたのではないかー。

中心のヒメコ山
ここからは、加治木義博氏の新説・日本誕生を引用しながら話を進めますが、加治木義博氏著の「黄金の女王・卑弥呼」ではー、
鹿児島にあった巴利国の位置は、鹿児島県大口市の針持(はりもち)ではないかー、
そして、隼人町=現在の鹿児島県霧島市隼人町、二〇〇五年合併以前の姶良郡隼人町=を、倭人伝の邪馬国ではないかと指摘しています。

この邪馬壱国の中心と指摘されるのが、現在の霧島市国分姫城(コクブヒメギ)である。
この山は、姫木山…「ヒメコヤマ」と呼ばれた山だった。
一般人に邪馬台国が良く知られたのは、1967年(昭和42年)の宮崎康平著作の『まぼろしの邪馬台国』からだろう。
この本では邪馬台国北九州説が採られた様だが、加治木氏によれば、幕末・明治の歴史学者で姫木山を邪馬国と指摘した学者がいたという。
幕末の鶴峯戊申(しげのぶ)という歴史学者は、卑弥呼の邪馬台国は姫木と指摘した。
さらに、吉田東伍は明治二十六年の著書「日韓古史断」において、また、那珂通世(なかみちよ)は大正四年の「那珂通世遺書」の中で、いずれも、「卑弥呼は熊襲の女酋であり、その古都はいまの隼人城の北、姫城村にある」と指摘しているという。

姫木山は「ヒメコヤマ」と読める地名だが、ヒメコと呼ぶ地名は、各地を探してもほとんど存在しないという。
そして、この「ヒメコヤマ」の名は、兵庫八幡山につながっていく…。

八幡山のヒメコ山

はたして読者は、憶えておられるだろうかー!
八幡山連峰において、八幡山の南の一帯が「ヒメコ山」と呼ばれていたことをー。
八幡山案内
http://ikuno.lolipop.jp//piramido/hachiman/ha00-02.htm

奇妙なことは、たんに山の名前が同じ…というだけではないのだ。

まずー、姫木山に存在する奇妙なモノ…、
You-Tube⇒霧島市国分姫城の阿多石を参照して頂きたい。
https://www.youtube.com/watch?v=ToLq9wnHShc

ポイント点は、稲荷神社背後の巨大な四角の岩盤ですが…、
http://hach8.web.fc2.com//jpn-pira/06kagoshima/image/map-hayato02.jpg

これと似たようなモノをご覧になったことは…?

神社背後の巨大石は、単なる巨大な岩盤なのか、
それとも、四角の形が意味を持つホキなのか?

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by nami3291 | 2014-12-01 15:32 | ●神代の歴史